2019-01-01から1年間の記事一覧

2000年ウラジオストック留学⑦

食生活 食事は基本的に食堂で取ることができたが、土日などは休みだったし夜遅い時間は閉まっていたため必然的に自炊の必要があった。 まずいことに私もYも自炊には不慣れだった。Yはそれでも多少自炊経験があったものの私に至っては料理経験は皆無といっ…

2000年ウラジオストック留学⑥

ロシア財政危機の影響・市民生活の困窮 ロシアは貧富の差が激しい国である。もともとソビエト時代においては一部の特権階級をのぞいて貧富の差は無く、最低限の衣食住がすべての国民に保障された国だったのだが、ソ連崩壊後はそうした生活インフラのすべてが…

2000年ウラジオストック留学⑤

◆ウラジオストックの街について ウラジオストックのメインスポットといえば、中央広場を置いてほかには無いだろう。広場の中心にはロシア革命の英雄像がその堂々とした姿で聳えていた。 (写真は2019年に撮影したもの) その広場は、南側は港に面しており、…

2000年ウラジオストック留学④

◆ルームメイトYについて ◆学生寮と大学の敷地について ◆団地の子供達について 大学の寮では同じ大学のYと相部屋だった。 Yとはしばしば夕暮れに酒を飲みタバコをふかした。寮の近くにはキオスクがあり、そこで買ってきた『バルチック艦隊ビール』を飲み、…

2000年ウラジオストック留学③

我々早大生留学生は学生寮とも団地とも着かない建物の三階に居住した。そばには用途のわからない廃屋があり、私とYの部屋からよく見える位置にあった。 グーグルマップで見つけた僕らの当時住んでいた団地。写真の人が集まっている入り口から中に入るとライ…

2000年ウラジオストック留学②

私達は二泊三日の間アントニーナネジダーノワ号に揺られ、ついにウラジオストックの港に着いた。 港には日本からの留学生が来るということを聞いた極東大学の人たちが迎えに来ていた。 私、A嬢、それに2人の早大生は彼らの車に乗りウラジオストックの市街…

2000年ウラジオストック留学①

2000年の四月に都内の大学でロシア文学を専攻していた私は、その年の8月上旬から9月上旬までロシア連邦のウラジオストックに語学留学していた。 その留学について書いていた文章が出てきた。読み返してみて結構面白そうだったから一部内容をアップしてみる…

ツイート埋め込み練習

2003年ごろ学校のパソコンルームでネットニュース見てたら、当時の俺からしたらすごいことが書いてあって、それって言うのが、「大手キャリアが動画再生機能のあるケータイを開発した」というもので、 — 会祥大慶(カイショウ タイケイ) (@T3rHRUvOuJ6iNw3)…

魯迅の故郷の冒頭を少し訳してみた

故乡 我冒了严寒,回到相隔二千余里,别了二十余年的故乡去。 故郷 僕は厳寒を厭わず、相隔てること二千余里、離れること二十余年の故郷に帰る。 时候既然是深冬,渐近故乡时,天气又阴晦了,冷风吹进船舱中,呜呜的?,从蓬隙向外一望,苍黄的天底下,远近横…

ドストエフスキー『キリストのヨルカに召された少年』『百姓マレイ』の感想 【書きかけ】

19世紀ロシアの風俗史料としての作家の日記 以下は読書会で読んだ、ドストエフスキーのエッセイに関する短編です。『作家の日記』というエッセイ集に出てくる『キリストのヨルカに召された少年』という短編です。 筋書きはシンプルで、寒いヨルカという祭り…