2000年ウラジオストック留学④

◆ルームメイトYについて

学生寮と大学の敷地について

団地の子供達について

 

大学の寮では同じ大学のYと相部屋だった。

 

Yとはしばしば夕暮れに酒を飲みタバコをふかした。寮の近くにはキオスクがあり、そこで買ってきた『バルチック艦隊ビール』を飲み、タバコ『ピョートル一世』をふかしては大学構内の丘の上で馬鹿話に興じ、ゲラゲラ笑ってすごしたものだった。


 

当時愛飲したロシアのたばこ『ピョートル一世』

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同じく愛飲したрусский стиль(ロシアン・スタイル)

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 バルチカビール

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キャンパス内は広大なものであり、さまざまな建物、学生寮などがある。我々の居住した学生寮もキャンパス内のものだった。興味深いことはこの学生寮、学生以外の人たちにも間貸ししていた点である。大学関係者もいたらしいが、それとは全然関係ない民間人も居住していたようで、学生寮というよりは団地

といってもよさそうなものだった。

 

昼間は団地に住む子供たちが和気藹々として遊んでおり、私のルームメイトYは、この子供たちの間で人気者であり、その人気ぶりたるや不動の地位を築いていた。そのおかげもあり、我々早大生留学生は彼らとも交流を深めることができた。

 

ことに興味深いことは、Yがロシアに『電気あんま』を伝えたエピソードであろう。ある日我々の部屋に団地の子供たちが遊びに来たことがあったのだが、子供の扱いが苦手な私は彼らをよそに読書に専念していたのだが、その一方でYは子供たちと飛んだりはねたり押し合いへし合いしつつ遊戯に興じていた。

と、少年の一人が絶叫しだすではないか。何事かと思い見ればが少年の一人に電気あんまをかけている。日本の小学校でこそ見慣れた光景であるが、ロシアの少年たちにとってそれはカルチャーショック以外の何物でもなかったようだ。

『ねぇ、Y!これはいったい何なの?』

『これはね、エレクトリック・マッサージというんだよ』

『へー!すげー!エレクトリックマッサージだ!』

少年たちはさっそくの伝えた日本の神秘、電気あんまを友人同士でかけたりかけられたりして遊びだした。

 

後年、はロシアに日本の神秘を伝道した男としてロシアに広く名を知られるのではないかと私は思った(果たしてYによりロシアに電気アンマが伝わったか否か?!その是非は二十年経った現在も未確認である。なんと言ってもウラジオストックの人に会うこと自体が稀有なため確認ができない。ロシア語で「電気アンマ   ウラジオストック」などと検索することも検討して良いかもしれない     2019年9月追記)。