出雲に関する考察
まず、この記事はなんら目新しいことが書かれていないということを断言しておかねばならない。この記事は私がGoogleマップで島根県の地形を見て得た考察をまとめたものであり、なぜそんなことをしたかと言えば古代において出雲が大国だったその理由を自分なりに探るためのものであった。
今日こそ島根県と言えば寂れた地域であるがそんな地域がなぜ古代では大国だったのか不思議だったからである。
そして、そうした研究は当然何百年の昔から当然行われてきたであろうし(なんと言っても歴史ある地域故に、前近代から膨大な先行研究が蓄積されているだろうことは論を待たない)、一介の素人である私の考察がそうした偉大なる先行研究を上回るような発見があろうなどとは到底考えることができないのである。
「では君はなぜそんなものを公のネットワークにアップするのか?」と問われるならば、もちろんそれは自身の考察したところを他者に共有したいという自己顕示欲以外の何者でもないということを断言しておこう。
さて、出雲はかつて古代の大国であった。そこでその秘密を探らんと欲した私は、島根県の地形をグーグルマップにて調べてみた。
一見してわかることだが島根県って半島だったんですね。台形の幅広の半島で結構珍しい地形だ。そして、その半島内に大きな湖が二つある。
そしてこの二つの湖だが、川に貫かれていて海につながっているのだ。つまり、この宍道湖と中海は湖ではなくラグーン(潟)なのだ。
そして、この島根半島の南側、本州と繋がっている部分は険しい中国山地に塞がれている。つまり、半島の付け根は険しい山で塞がれ、残りの三方は海に囲まれ、安全保障上守りやすい土地であると言える。
さらにこの二つの湖だが、これが出雲の発展に重要な意味を持つのだ。前述の通りこの宍道湖と中海は斐伊川に貫かれて境港で海につながっている。これが何を意味するかというと、これは自分の推測ではあるのだが、他の地域よりも物流面で圧倒的に有利な条件となるであろうということである。
どういうことか?前近代社会には土木工事機器は存在せず、今日のような沖まで埋め立てた大型船が直付けして寄港できる港はあまりなかったらしい。
大型船は存在したが直接陸地に接岸せず、水深の深い場所に錨を下ろして停泊し、陸との行き来は小型の船を使いやり取りしていたらしい。小型の船に人やものを乗せ大型船との間を行き来したようである。
そして、このように大型船を停泊させるには外洋にひらけた海岸では船が流されてしまうであろうから、結果的に湾とか潟(ラグーン)のような外洋の波から守られた場所に港が出来ることが多かったようだ。実際港町を見るとそうした湾や潟やまたは半島の陰など波から守られている地形が多い。
上の画像は有名な港町だがいずれも入り組んだ湾になってたり、目の前に島があって外洋の波から港が守られている地形が多いことが見て取れるだろう。
このように考えると、島根半島の宍道湖と中海がどれほど前近代では良港であったかが分かるだろう。
さらに宍道湖と中海を貫く斐伊川周辺には平野と豊かな耕作地が広がる、つまり農業生産力が高い。前近代の主要産業は農業であろうから(工業などは存在していかっただろう)、農業生産力が高いということは経済力も高いということ。
つまり出雲国は、
①防衛上有利な地形(海と中国山地に守られている)
②物流面で有利(広大な潟が域内にあり良港である)
③経済力が高い(斐伊川周辺の農業生産力)
これらの要素により古代において大国だったのではないか?!このように私は推測した。何度も言うが、先行文献は一切調べていない。
なお、さらに詳しく調べたい方のためにウィキの出雲に関する記事のリンクを貼り付けておく。