2000年ウラジオストック留学②

私達は二泊三日の間アントニーナネジダーノワ号に揺られ、ついにウラジオストックの港に着いた。

 

港には日本からの留学生が来るということを聞いた極東大学の人たちが迎えに来ていた。

 

私、A嬢、それに2人の早大生は彼らの車に乗りウラジオストックの市街地へと向かった。

 

私は始めての海外、十代のころからあこがれていたユーラシア大陸への第一歩を踏んだのだった。

 

なるほど、ウラジオストックといえば所詮はロシアの東端。中国の東隣であり北朝鮮からもすぐ近く。日本の天気予報にさえ顔を出す地でこそあれ、ヨーロッパや中央アジアまで地続きのユーラシアである。私が中学のころからあこがれていたユーラシア大陸の一部なのである。

 

それはそれは感慨深いものがあった。

 

極東大の学生の車に乗って市内に向かったのだが、市内の建物はレトロで、想像したとおりのロシアの風景だった。古びたレンガ造りの建物があり、汚い舗装道路などは私のイメージどおりのロシア像そのものであった。

 

 

 

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残念なことに当時は写真をほとんど撮影しなかったためここで載せることはできない。だが、技術の進歩は偉大である。グーグルマップやストリートビューにより僕が当時あるいたウラジオストックの市街地は手軽にケータイで見ることができる。以下はグーグルマップで見つけたウラジオストックの市街地、ボクがよく歩いた界隈である

 

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同上

 

やがて車は勾配のある、立派なホテル前の銀行で止まった。ここで日本円をロシアルーブルに両替せよという。ちなみに立派なホテルは韓国資本、ヒュンダイのホテルだ。

 

 

グーグルマップで見つけたヒュンダイホテルであろう建物。今はロッテホテルとなっているようだ。この外観は覚えている。

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両替を終えた我々は、そのまま大学の寮へと向かった。寮では我々より一足先に、この夏の極東大学短期留学に参加していた日本の学生(偶然にもみんな私と同じ早稲田の学生だった)と顔見せをした。

 

まず、私のルームメイトとなる、そしてこの短期留学が縁となり現在に至るまで長い付き合い(腐れ縁?)となるY。天然キャラで魅力的なK嬢。A嬢とルームメイトのS嬢。同じロシア文学専修のインテリ風なA君。以上の人たちと知り合うこととなった。

 

このように、楽しい仲間とのウラジオストック滞在がはじまったのだった。