2000年ウラジオストック 留学 14

楽しかったウラジオストック留学も九月上旬で終わりとなり、俺は帰国の船に乗った。一緒の船に乗ったのは、俺、Y、Aちゃん、Sちゃん、その他のメンバーであった。その他のメンバーが誰だったのか、記憶が曖昧だが確かほとんどのメンバーが乗っていた気がする。

帰りの船は行きとはまた違う趣があった。仲間もでき、彼らとの間に精神的な結びつきもできていた。

 

(友人達と会食  2000年)

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(写真は2019年に撮影したものだが、イメージとして載せておく。こうしたクレープで魚介類を挟む料理はウラジオでは非常に多かった。)

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僕は友人らと一緒の部屋になりたかったのだが、部屋の割り振りは船員らが行った。彼らに教えられた部屋に行ってみて僕は驚いた。なぜか、僕はイギリス人の12歳の女の子と相部屋にされたのだ!!彼女は二十歳過ぎの東洋人と相部屋にされたことを明らかに困惑を持って受け止めていたし、俺だって高学年の女の子と相部屋などという変態匂い立つ行為はためらいを感ぜざるを得なかった!!

 

 

(2019年の画像だがイメージとして載せておく。典型的なウラジオのアパートである。アルバムを漁ったが、船の写真も港との写真もなかったのでイメージ画像を。)

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僕は彼女に対して場当たり的な挨拶をし、そそくさと部屋を後にしたように記憶している。幸い、しばらくしてから船を管理する人たちから「部屋を間違えた」といわれ、友人たちとの相部屋に移動させられた。「部屋を間違えた」で済む話しか!!??

 

富山県の伏木港に着いたとき、船外は大雨だった。僕と仲間たちは雨の中を走って駅へと向かった。たった一ヶ月のロシア滞在だったが、その影響は絶大だった。道行く人々のほとんどが日本人だったが、この見慣れた光景が実に奇妙に見えた。仲間たち以外はすべてロシア人という環境に慣れきってしまい、東洋人が大群で町内を闊歩しているという風景にこの上ない違和感を感じてしまったのだ。

 

伏木駅の写真

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(お分かりいただけるだろうか?伏木駅の裏に小矢部川河口があり、船が停泊しているのが。恐らく我々の船もこのような位置で、伏木駅の裏側に船から下されたように記憶している。)

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東京に戻るためにJRの駅で切符を買った。このときも何やら感慨深いものがあった。

基本的に日本語というのは仲間内だけで話す言葉であり、公共の場で使うのはロシア語だった。公共の場で日本語を使うというのがこの上なく不思議な感じがしたのだった。

こうして、仲間たちと富山から東京へと帰路について、2000年のウラジオストック 短期留学は終わった。