2000年ウラジオストック 留学⑨

ロシアの露天市場

 

僕は同じ大学から留学しにきたYと相部屋だったが、料理の大半は自炊をせねばならなかったため、また夜酒を飲み食いして楽しむため、定期的に食料の買い出しに出かけた。それら買い物の多くは露天市場でした。市場は活気があり、愛想の良いおばさんたちが様々な品々を売っている。野菜、肉、果物、ピクルス、パン、卵、冷凍食品などが日本では考えられないほど安価で売られているのだ。

 


私とYは食堂が休みの日に食べる食料を調達するためにしばしば市場へと向かった。我々がもっともよく買ったのは、パン、卵、それから冷凍食品のペリメニ(ロシア式水餃子)だった。

 

ペリメニ。これはレストランで撮影したもの。2019年)   

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それから忘れてはならないのは水である。水道水が飲めるのが日本ぐらいだという話は多くの人が聞いたことがあるだろう。

実際ロシアの水も、自殺志願者や病気志願者でなければ飲めたものではない代物だったので、我々はミネラルウォーターをしばしば買った。ミネラルウォーターは、市場ではなく大学そばのキオスクで買っていたと思う。水を買う上で問題なのは、間違って炭酸水を買ってしまうことだ。ロシアの店では普通にミネラルウォーターと一緒に炭酸水が売っている。砂糖も何も入っていない、炭酸が入っているだけのまずい水を、カクテルに使うでもなし、ジュースに入れるでもなし、ただ炭酸が入っているだけの無味の水を彼らはジュースでも飲むが如く愛飲するのである。これは不可解な習慣だったが、間違って我々が買ってしまったときは、まずくて飲めたものではなく、料理にも使えず始末に困ったものだった。

 

2019年追記◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今日、砂糖なしの炭酸水はコンビニで大人気である。かくいう私自身も毎日のように炭酸水を飲んでいる。この嗜好の変化はなぜ起きたのか、何故日本社会全体で炭酸水が歓迎されるようになったのか、気になり調べたところ以下のような記事を見つけた。参考までに共有する。

http://ent.smt.docomo.ne.jp/article/497868

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市場はいたるところにあったが、最もよく覚えているのは、大学から市の中心部に向かうオケアンスカヤ通りを南下してわき道に入ったところにあった市場、それから大学より路面電車で数十分ほど北上したところにあった第一市場(ピェールヴァヤ・リェーチカと呼ばれていた)である。規模で言えば前者よりも後者のほうが大きかったし売っている品物も種類が豊富だった。

興味深かったのは、アジア人の出稼ぎがしばしば市場を開いていたことだった。東南アジア系と思しき男性らが営む市場がよくあちこちで見られた。

印象的だったのはジュースが基本的にペットボトルで売られていたこと、それらは日本の缶ジュースぐらいの値段で売られていたことだった(ここら辺ちょっとうろおぼえ)。それから、スイカが驚くほど大量に売られていたことも印象的だった。いつもスイカがトラックに山積みになっていた。私は一個小さめのスイカを買ったが、それも日本では考えられぬほど安価だったし味も良かった。

 

冷凍食品のペリメニは我々にとって欠かせない日々の糧であった。まずパンやゆで卵に比べて味が良い、作るのは塩とともにゆでるだけで簡単ということから我々はペリメニをかなり重宝していた。

あるとき友人らが親しくなった韓国人らを私とYの部屋に招いてねぎらったことがあったが、このときも彼らにペリメニをご馳走した。

ペリメニを作るために私は水を熱し、茹で上がった鍋に冷凍されたペリメニを入れた。それから塩を加えようとした。塩はビニールのパックから直にちょっとずつパラパラと適量を加える風にして味付けをしていたのだが、このとき手元が狂い大量にドバっと入れてしまっため、途方もなく塩辛いペリメニができてしまい韓国人らを閉口させてしまったことを覚えている。

 

このようなこともあったのだが、私とYはなぜかいつも空腹にさいなまれていたので、市場で買ってきた卵やパンをかぶりつくのはこの上ない至福だった。市場での買い物は我々にとって重要な娯楽だったのだ。