梅棹忠夫『文明の生態史観』とGoogle マップ

『文明の生態史観』は梅棹忠夫が50年代に中東やインドを旅して得たインスピレーションを基にして書かれた理論である。曰く、それまでの「西洋対東洋」ではなく「第一地域(近代化に50年代当時成功している地域)」「第二地域(四大文明発生地やその近隣で執筆当時近代化出来てない地域)」でユーラシアを二分した構図だ。
書かれた時代が古いため、例えば現在世界経済を牽引する韓国や中国、アセアンが近代化していないし、近代化に成功してるか否かというのもなんか今にして思えば短絡的にも思え、また第一地域の特徴である前近代における封建社会の発達を上げているがそれにしても例えば第二地域のインド・ムガル帝国藩王がいたりして封建制的要素があるため必ずしも厳密に見ると正しいとは言えない様な点が多い。とは言え梅棹忠夫曰く、あくまでこの理論は「理想的なモデルケース」であり、細部を見ればそんなに単純化は出来ないとのこと。
この文明の生態史観はITもパソコンもない50年代にかかれたものだが、この理論をGoogle マップを用いて考察してみたいと思う。

「人間の歴史の中で、まずひらけはじめたのは、この乾燥地帯か、あるいはその周縁部の準乾燥地帯である」

「まんなかに、砂漠・ステップをふくむ乾燥地帯があるものとすれば、その外側には、サバンナ風の準乾燥地帯があらわれ、さらにその外側には森林に覆われた湿潤地帯があるはずである。実際、世界の生態学的構造は、ほぼそうなっている」

要は、ユーラシアには真ん中を貫く砂漠地域があり、その周辺に四大文明発生地の第二地域がある。第二地域は四つ、1.中国世界、2.インド世界、3.ロシア世界(ソ連圏のことか?)、4.地中海世界の四つに分けられる。。そのまた外側に古代中世には文明地域の周縁だった第一地域がある、とのこと。
で、Google マップで示すと以下の通りとなる。

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赤枠はユーラシアを貫く砂漠、その外に黒枠で囲んだのは1から4の中国世界、インド世界などを表す。
赤枠と,1~4が第二地域、その外が第一地域だ。

ちなみに梅棹忠夫のオリジナルの第一地域、第二地域の図は以下

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これを見ると、なんか砂漠が東西を遮って、その周りのサバンナや地中海の準乾燥地帯で文明が出来たってのが、確かになんとなく感じられはする。取り敢えず、砂漠がユーラシアの真ん中を遮っているのはお分かりかと思う。

つっても、砂漠の外側に、デコボコした形で四つの地域が生えている感じである。もし砂漠の外側に準乾燥地帯たる文明発生地地域があるとするなら、赤枠の外を覆うように,1~4の文明世界がなきゃおかしいんだが、実際には東南アジアや東ヨーロッパの部分で1~4の文明世界が歯抜けになっている。これは、おそらく地理的な隔絶によって文明地域になれなかった周縁部とは言えないだろうか。


例えば東南アジアはヒマラヤなどの山々で中国世界ともインド世界とも隔絶されていないだろうか?例のごとく赤枠はユーラシアを貫く砂漠を表す。

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しかも東南アジア自体も山々やメコン川、イラワジ川などの大河に分断されている。

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つまりヒマラヤや雲南省の山々、メコン川やイラワジ川などの大河が中国世界やインド世界から東南アジアを隔絶しているのではないか。それを言うなら地中海世界のアルプスやドナウ川、カルパチアなんかも似た役割かも知れんですね。

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「歴史というものは、生態学的なみかたをすれば、人間と土地との相互作用の進行の跡である。別な言葉で言えば主体環境系の自己運動の跡である。その進行の型を決定する諸要因のうちで、第一に重要なのは自然的要因である。」「そしてその自然的要因の分布はでたらめではない。それが幾何学的分布を示しているのである。」


そもそも生態学的って言葉の意味がよくわからんのですが、歴史を地理的要素で理解する、人文地理学的考え方は人強く共感できます。中緯度の平原に大河が流れれば農耕が始まり文明が開けるし、険しい山や砂漠があればそこから向こうとは隔絶される。自然的要因で国や地域、文明圏が分かれるのは直感的によくわかる。

幾何学的分布ってのもイマイチよくわからないけど、要は法則性のある分布、地球の緯度経度に基づく気候やユーラシア世界の地形に応じた法則性ある分布ということだろう。



ちなみに、以下は蛇足だが、自分も個人的にGoogle マップから人文地理学的着想を得ていた。それはつまり四大文明発生地(ここで言う第二地域)は中緯度地域の大河が流れる巨大平原という点。その文明圏の範囲は、農耕と文明の中心である大河から、自然の障壁である巨大山脈や海、砂漠まで。実際以下の図を見ると、メソポタミアとエジプトはシリアやイスラエルの砂漠に、メソポタミアとインドはイランやパキスタンの山や砂漠で遮られているのが分かる。

メソポタミアとエジプトを遮る砂漠
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インドとメソポタミアを遮る砂漠と山々
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まさに人間の歴史は地理的要因に対する人間の対処の結果だということが出来るでしょうね。